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2025年02月15日 18時20分

津田健次郎、声優と俳優としての軌跡を語る – A-Studio+での貴重なエピソード

津田健次郎が語る、俳優と声優としての軌跡と苦悩

声優・俳優として多彩なキャリアを持つ津田健次郎さんが、14日に放送されたTBS系「A-Studio+」で語った自身の経験は、多くの視聴者にとって興味深いものでした。彼の語ったエピソードには、幼少期にインドネシアでの生活、声優としての成功までの道のり、さらには日常生活における独特な悩みが含まれており、彼の人間味あふれる側面が垣間見えました。

インドネシアでの幼少期と独自の成長

津田さんの幼少期は、父親の仕事の都合でインドネシアのジャカルタで過ごしました。この異文化の地での生活は、彼の人格形成に大きな影響を与えたことでしょう。彼は小学校時代、ぼんやりしていて忘れ物が多かったと語り、そのエピソードをスタジオで笑いに変えていました。暑さのせいで「ぼーっとしていた」と振り返る彼の話には、当時の彼の無邪気さと、異国での生活がいかに彼の内面に影響を及ぼしたかが見て取れます。日本とは異なる環境で過ごした経験が、津田さんの独自の感受性を育んだのかもしれません。

低音ボイスの利点と課題

声優としての津田さんの特徴といえば、その低音ボイス。アニメ「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」の海馬瀬人役や「呪術廻戦」の七海建人役での大成功は、この声があってこそと言えるでしょう。しかし、日常生活ではこの低音が時に障害となることもあるようです。店員に声をかけても聞き取られず、声を張ると怒っているように思われるという悩みは、彼にとって笑い話でありつつも、仕事とプライベートの間でのギャップを象徴しています。

俳優としての下積み時代と蜷川幸雄との出会い

津田さんは俳優としても活動しており、そのキャリアは決して順風満帆ではありませんでした。20代はまさに下積みの時代であり、バイトをしながら役者としての活動を続けていました。彼はその期間を「生きる=芝居をする」と捉え、何度もやめたいと思ったことはないと断言しました。この情熱と信念こそが、彼を成功へ導いた原動力であることは間違いありません。

また、彼が語った演出家・蜷川幸雄氏との出会いは、彼の俳優人生にとって大きな転機となったようです。蜷川氏の厳しい指導と、時に辛辣な言葉は、若き日の津田さんに強烈なインパクトを与え、プロとしての意識を高めるきっかけとなったのでしょう。蜷川氏の現場での緊張感と、役者に対するリスペクトを込めた指導法は、津田さんにとって大きな学びの場であったことが伺えます。

これらのエピソードを通じて、津田健次郎さんのキャリアの裏には、さまざまな経験と人との出会いが織りなすストーリーがあることが明らかになりました。彼の成功は決して偶然ではなく、不断の努力と情熱の結果であることを改めて感じさせられます。津田さんの物語は、これからの俳優や声優を目指す若者たちにとって、貴重なインスピレーションとなることでしょう。

[中村 翔平]

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