フィギュア界の巨匠・宮脇修氏と海洋堂の軌跡を辿る
フィギュア界の巨匠、宮脇修さんの歩みと海洋堂の軌跡
2023年2月16日、フィギュアメーカー「海洋堂」の創業者、宮脇修さんが96歳で逝去しました。日本のフィギュア業界に革新をもたらした彼の功績は、単なる製品の枠を超え、文化的な現象として多くの人々の心に刻まれています。宮脇さんの人生と、彼が築き上げた海洋堂の歴史を振り返りながら、その影響力について考察してみましょう。
海洋堂の創業とフィギュア文化の発展
宮脇修さんは1928年に高知県大方町(現黒潮町)に生まれ、15歳で南満州鉄道に入社。終戦後、日本に帰国し、1964年に大阪府守口市にて「海洋堂」を創業しました。創業当時の海洋堂は「創るたのしみをすべての人に」をコンセプトに、一坪半の模型店からスタート。模型やプラモデルが一般的でなかった時代に、宮脇さんは独自の視点でプラモデルの世界を開拓しました。
1984年、海洋堂はフィギュアメーカーへと転換し、ガレージキットの製造・販売に注力。これによって、フィギュアという新たな文化が日本国内で育まれるきっかけとなりました。ガレージキットは、アニメや漫画、ゲームといったポップカルチャーを立体的に表現する手段として、クリエイターたちに愛される存在となりました。
ワンダーフェスティバルと海洋堂の影響力
海洋堂はフィギュアの製作・販売だけに留まらず、イベントの主催を通じてもフィギュア文化の発展に寄与しました。特に「ワンダーフェスティバル(通称・ワンフェス)」は、1985年に初めて開催されて以来、国内外から多くの来場者を惹きつける一大イベントとなっています。ワンフェスでは、個人のクリエイターや企業が自慢の作品を展示・販売する機会を提供し、フィギュアファンにとっての交流の場として機能しています。
このようなイベントの開催は、フィギュアという趣味を単なる個人の楽しみから、社会的な現象へと昇華させる役割を果たしました。海洋堂が主催するワンフェスは、フィギュア業界のトレンドを発信し続け、業界全体の活性化に大きく貢献しています。
宮脇修さんの遺産と今後の海洋堂
宮脇修さんの逝去に伴い、海洋堂は新たな時代を迎えます。現在、宮脇さんの長男である宮脇修一さんが顧問として会社を支え、YouTubeチャンネルなどを通じて情報発信を行っています。彼の活動は、海洋堂を次世代へとつなぐ重要な役割を果たしています。
また、海洋堂は「海洋堂ホビー館四万十」や「海洋堂ホビーランド」などのフィギュア展示施設を運営しており、これらの施設を訪れることで、宮脇修さんのビジョンがいかに時代を超えて影響を与えているかを実感できます。これらの施設は、フィギュアが単なるコレクションアイテムではなく、文化的価値を持つアート作品であることを伝える場でもあります。
[山本 菜々子]