スポーツ
2025年02月26日 17時11分

箱根駅伝の「山の神」柏原竜二、3・11の葛藤と激走の裏側

箱根駅伝の伝説、柏原竜二が語る3・11と最後の激走

東日本大震災から14年が経った今、あの記憶は色褪せることなく、心の中に鮮やかに残っています。震災の日、柏原竜二さんは東洋大学の3年生で、箱根駅伝の新たな「山の神」として名を馳せていました。しかし、彼の活躍の裏には葛藤と故郷への思いがありました。

2009年に箱根駅伝デビューを果たした柏原さんは、1年生にして8人をごぼう抜きする驚異的な走りを見せ、初代「山の神」今井正人さんを超える区間記録を打ち立てました。そして、彼の名は一躍全国区となりました。しかし、その後の競技人生で最も記憶に残る年は、震災の翌年、2012年です。

震災がもたらした葛藤と故郷への思い

2011年3月11日、柏原さんはチームの合宿地から寮への帰路で大地震に遭遇しました。車内で見たニュース映像は彼を震撼させ、故郷福島の家族の安否を気に掛け続けました。携帯電話が不通となり、家族と連絡が取れない日々が続いたと言います。そんな中で、彼の心には「この状況で自分が走る意味はあるのか」という問いが浮かんでいました。

一方で、恩師の佐藤修一監督からの「走ることが福島を盛り上げる」という言葉は、彼にとって大きな支えとなりました。競技を続けることが、故郷への恩返しになるとの思いが、彼を再び前に進ませました。彼は自身の使命を再確認し、走ることに全力を注ぐ決意を新たにしたのです。

リーダーとしての責任とチームの結束

2012年にキャプテンとして迎えた箱根駅伝では、柏原さんは自らを「闘将」として位置づけ、チームを牽引しました。彼のリーダーシップの下、チームは一致団結し、勝利を目指しました。柏原さんは先頭に立ち、練習を引っ張り、後輩たちには厳しくも愛情深い言葉を投げかけました。

「勝利が発信する力は大きい」との信念のもと、彼らは練習に励みました。震災で傷ついた故郷への思いを胸に、全員が一丸となって挑んだその姿勢は、箱根駅伝という舞台においても異彩を放ちます。

福島への帰郷と心の再生

8月、柏原さんは震災後初めて故郷福島に帰ることができました。仮設住宅を訪れ、津波で失われた風景を目の当たりにし、言葉を失いました。しかし、地元の人々の笑顔と「ありがとう」の言葉に励まされ、彼は走ることの意味を再確認しました。11月には地元の「ふくしま駅伝」にも出場し、故郷に思いを届けることができたと感じたそうです。

この頃、彼の心は再び立ち上がり、福島への愛と感謝が彼の走りに力を与えました。そして、箱根駅伝の本番で彼とチームは最高の結果を出し、往路優勝を果たしました。フィニッシュラインを切った彼は、「苦しみは1時間ちょっと。福島の人々に比べたら全然きつくない」と語りました。彼の心の中で、走ることは単なる競技を超えて、故郷との絆を深める行為となっていたのです。

その後の人生と福島への思い

競技を引退してからも、柏原さんは箱根駅伝と関わり続けています。ラジオ番組でのナビゲーターとして、選手たちの本音を引き出し、彼らに寄り添う姿勢を見せています。また、彼は母校の大学院で社会心理学を学び始め、選手たちへのフィードバックを通じて、スポーツ界に新たな視点を提供しようとしています。

故郷とのつながりも今なお大切にしており、福島への思いは変わりません。彼の走りは一度終わりを迎えましたが、彼自身の物語は続いています。震災を乗り越え、走ることを通じて多くの人々に勇気を与えた彼の姿は、今も多くの人々の心に残り続けています。

[高橋 悠真]

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