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2025年03月03日 22時11分

浅村栄斗が語る、日本プロ野球のレジェンドたちとの対戦エピソード

浅村栄斗が語るダルビッシュ有との対戦とその時代の日本プロ野球

楽天ゴールデンイーグルスの浅村栄斗選手が、かつての対戦相手であるダルビッシュ有選手との思い出を振り返りました。浅村選手が西武ライオンズでレギュラーを獲得した2011年は、まさにダルビッシュ選手がメジャーリーグ移籍を前にして無双状態だった年です。その時代の日本プロ野球界は、まさに「超一流」の投手たちが揃っていました。

浅村選手は、ダルビッシュ選手との初対戦を「マウンドが目の前にあるように感じた」と語り、その圧倒的存在感を振り返ります。特に印象に残っているのは、ダルビッシュ選手のスライダーです。右打席で体に寄ってくるスライダーは、浅村選手がよけているにもかかわらず、捕手が外角側に飛びついて捕球するほどの切れ味を誇っていました。

この頃のパ・リーグには、他にも楽天の田中将大選手やソフトバンクの和田毅選手といった名投手がひしめいていました。浅村選手は、杉内俊哉選手のチェンジアップについても、「ボールが止まって見えた」と述べ、その驚異的な変化球についても言及しています。これらの投手陣と対戦することが、浅村選手のバッティング技術を磨く一助となったことは間違いありません。

ダルビッシュ有の決断とその背景

一方で、ダルビッシュ選手がプロ入り前に経験した環境も興味深いものがあります。彼は大阪府羽曳野市出身で、名門PL学園の近くで少年時代を過ごしましたが、あえて東北高校を選んだ背景には、PL学園の厳しい上下関係や練習環境が「無理だと思った」という理由があります。

この選択は、ダルビッシュ選手にとって大きな転機となりました。東北高校では、比較的緩やかな上下関係の中でプレーすることができ、彼の伸びやかな成長に寄与したことでしょう。プロ入り後の彼は、メジャーリーグでの成功を収め、日本球界を代表する投手の一人として名を馳せています。

松井稼頭央氏との対談でダルビッシュ選手は、「生きていく力が付いた」と語り、彼の成長に影響を与えた環境の重要性を示唆しています。PL学園の卒業生である松井氏も、「プロに入ってからの生活が楽だった」と振り返り、厳しい練習がプロとしての基盤を築く一助となったことを認めています。

プロ野球選手が語る「魔球」の正体

浅村選手が語る「ボールが止まって見えた」チェンジアップの持ち主、杉内俊哉氏の存在もまた、2010年代のパ・リーグを象徴するものでした。浅村選手と杉谷拳士氏は、杉内氏の投球に対する驚きを共有し、そのチェンジアップの異次元の変化に驚愕しています。まるで時間が止まったかのように見えるその変化球は、対戦する打者を苦しめたことでしょう。

浅村選手は、2011年当時の日本プロ野球が持つ独特の競争環境を振り返り、それが彼のキャリアに与えた影響を自覚しています。当時のパ・リーグは、才能溢れる投手たちがしのぎを削る場であり、打者としての成長を促す絶好の場でもありました。

このような背景を持つ浅村選手は、現在もなお楽天ゴールデンイーグルスの中心選手として活躍し続けています。彼がこれまでに対戦してきた名投手たちとの経験は、今後も彼のプレーに影響を与え続けることでしょう。日本プロ野球の歴史における一時代を築いた彼らのエピソードは、これからも多くのファンに語り継がれていくことでしょう。

[山本 菜々子]

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