和田アキ子、いしだあゆみとの絆を語る:優しさと友情の思い出
和田アキ子が語るいしだあゆみの思い出:守られた日々と共に
日本の音楽業界において、和田アキ子さんといしだあゆみさんの友情は、ただの同業者関係を超えたものでした。いしだあゆみさんが76歳で亡くなったことが発表された2023年12月17日、和田アキ子さんは深い悲しみを表しながら、彼女との思い出を振り返りました。和田さんはデビュー当時からの恩人としていしださんを語り、その優しさに感謝の意を示しました。
デビュー当時を支えた「優しい声」
和田アキ子さんといしだあゆみさんは、共に大阪出身であることから自然と親しくなり、和田さんのデビュー当時からいしださんは彼女の支えとなっていました。和田さんは当時の彼女を振り返り、「よく先輩にいじめられていましたが、その時、いつも守ってくれたのがあゆみちゃんでした」と語っています。この言葉には、いしださんの優しさがにじみ出ています。彼女は「『あんなの気にしちゃダメよ』って優しく声をかけてくれて、、、」と続け、心の支えとなったいしださんの存在感を思い起こしています。
デビュー当時の和田さんは、その背の高さゆえに目立ち、周囲からの目が厳しいこともあったでしょう。しかし、いしださんの温かい言葉が、彼女の心をどれだけ救ったかは想像に難くありません。実際、和田さんは何かあるとすぐにいしださんに相談していたと語っており、いしださんが和田さんにとっての「安心できる存在」であったことがうかがえます。
日常の中の温かさ
いしだあゆみさんの魅力は、その優しさだけではありません。和田アキ子さんは、彼女の飾らない人柄をこうも語っています。「アコと喋ると大阪弁がうつるじゃない。女優だから標準語を話さないといけないから大変なんだから」と、笑いながらポテトチップスを一枚一枚ポリポリ食べる姿を思い出として挙げています。このエピソードは、いしださんの自然体な一面を示しており、仕事の厳しさの中にも日常の温かさを感じさせるものです。
大阪弁という共通の言語は、二人の間に特別なつながりをもたらしました。いしださんが標準語を話さなければならない女優という仕事の枠を超え、和田さんとの関係ではリラックスした姿を見せていたことがわかります。その笑顔と共に過ごした時間が、和田さんにとってどれほど貴重であったかが伝わってきます。
二人が残したもの
いしだあゆみさんとの最後の食事は数年前のことだったと和田アキ子さんは語ります。その時の思い出が、和田さんにとって大きな意味を持っていることは間違いありません。和田さんは「大好きな人が立て続けにお亡くなりになってしまい、残念でなりません」と述べ、彼女の死を惜しみました。
いしださんの死去は、和田さんにとってだけでなく、多くのファンにとっても大きな喪失です。しかし、彼女が残した思い出や業績は、今もなお多くの人々の心の中で生き続けています。和田さんのコメントからは、いしださんへの深い感謝と敬意が感じられ、彼女の人柄の良さが改めて浮き彫りにされました。
いしだあゆみさんの訃報は、音楽業界にとっても大きな痛手ですが、その影響は和田アキ子さんを通じて、彼女を知る全ての人々に伝わっています。彼女が遺した優しさと才能は、これからも語り継がれていくことでしょう。
[高橋 悠真]