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2025年03月18日 06時12分

小倉智昭さんのお別れ会、ブルーノート東京で開催

小倉智昭さんが遺したもの:人々の心に刻まれた“家族”の記憶

昨年12月に膀胱がんで77歳の生涯を閉じたフリーアナウンサーの小倉智昭さん。彼のお別れの会が、彼自身が愛した東京・南青山の名門ジャズクラブ「ブルーノート東京」で開催されました。この会場には約700人の参列者が集まり、小倉さんとの別れを惜しみました。

小倉さんは、ただのテレビパーソナリティではなく、彼と関わった人々にとって「家族」のような存在でした。彼の影響力は、芸能界の枠を超え、若い世代からも多くの尊敬を集めました。そのため、彼の死は多くの人々にとって大きな喪失感をもたらしました。嵐の二宮和也さんは、「お父さんのような存在だった」と涙ながらに語り、元共演者である菊川怜さんも「かけがえのない時間だった」と振り返りました。

小倉智昭さんの人柄:太陽のような存在

参列者の一人である寺尾聰さんは、小倉さんを「優しくて頑張り屋で力強い男」と称しました。彼らは40年という長い年月を通じて友情を築き、小倉さんの誕生日には小さなプレゼントを交換するなど、親しい関係を続けていました。デーブ・スペクターさんも弔辞で、小倉さんの膨大な知識とユーモアを「ヨーダのような存在」と表現し、彼の知恵深さをたたえました。

小倉さんの魅力は、単に多才であることだけではありません。彼は、周りの人々を自然と引きつける力を持っていました。彼のことを「太陽」と表現する人も多く、彼の存在が周囲の人々にどれだけの影響を与えたかは、参列者からの言葉からも明らかです。

多趣味で多才な小倉智昭さんの人生

小倉さんの多彩な趣味は、彼の人となりをより一層浮き彫りにします。会場には彼が愛したギターやベースが飾られ、参列者は彼の音楽への情熱を感じることができました。また、大ファンだった西武ライオンズのユニフォームや、五輪取材時のパスなども展示され、彼の幅広い興味を示しています。フリーアナウンサーの笠井信輔さんは、小倉さんがカメラにも詳しく、趣味として楽しんでいたことをエピソードとして紹介しました。

小倉さんは、多くの趣味を持ちながらも、それぞれに対する深い知識と情熱を持っていました。彼の多趣味さは、彼の人生を豊かにし、彼と関わった人々にさまざまな影響を与えました。

人々の心に刻まれた小倉智昭さんの遺産

小倉智昭さんの死によって、多くの人々が彼の存在の大きさを再認識しました。彼は、ただのアナウンサーではなく、彼と接したすべての人にとって特別な存在でした。彼の影響は、彼が生前に築き上げた人間関係や、彼の言葉、行動の中に生き続けています。

彼の存在を失った悲しみは深いですが、彼の残した思い出や教えが、今後も彼を知る人々の心に生き続けるでしょう。小倉さんが愛した音楽やスポーツ、そして彼が与えてくれた数々の笑顔が、参列者や彼を知るすべての人々にとって、これからも心の支えとなることは間違いありません。

[伊藤 彩花]

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