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2025年02月22日 20時11分

桂才賀さんの軌跡と功績、笑点メンバーとしての影響力

落語界の巨匠、桂才賀さんの軌跡と遺したもの

落語家の桂才賀さんが、74歳の若さで虚血性心疾患により2023年2月21日に亡くなりました。桂才賀さんは、日本テレビ系の人気番組「笑点」の大喜利メンバーとして広く知られる一方で、落語界で多大な影響を残した人物です。彼の死去は、多くのファンや落語関係者に大きな衝撃を与えました。今回は、彼の生涯とその足跡について振り返りながら、その功績をたたえます。

桂才賀さんの華麗な経歴

桂才賀さんこと本名・谷富夫さんは、海上自衛隊での任期を終えた1972年、9代目桂文治の元に入門しました。当時、前座名は文太と名乗り、厳しい修行を積んでいました。師匠の桂文治が1978年に亡くなった後は、古今亭志ん朝の門下に移り、朝次として活動を続けます。

そして1985年には真打ちに昇進し、7代目桂才賀を襲名しました。この昇進は、彼の落語家としての実力と努力が評価された結果であり、彼自身にとっても大きな節目となりました。彼の落語は、伝統的な技法を重んじつつも、聴衆との親しみやすい交流を重視したスタイルで、多くのファンを魅了しました。

「笑点」大喜利メンバーとしての活躍

桂才賀さんが全国的に知られるきっかけとなったのが、1980年に「笑点」の大喜利メンバーに選ばれたことです。急逝した三遊亭小圓遊に代わる形での加入でしたが、そのユニークな発想と巧みな話術で、視聴者を楽しませました。彼の在籍期間は1988年までの約8年間にわたり、その間に彼の個性的なキャラクターと話芸は多くの人に愛されました。

「笑点」という番組は、落語家たちが集まりお題に対して機知に富んだ回答を競うという内容で、桂才賀さんはその中で一際際立つ存在でした。彼の回答には、時折毒舌も交えたユーモアがあり、当時の視聴者の笑いを誘いました。

少年院面接委員としての社会貢献

桂才賀さんは、落語家としての活動だけでなく、社会貢献にも力を注いでいました。1988年には法務省の少年院面接委員に任命され、少年院での慰問活動を精力的に行いました。若者たちに希望を持たせ、再出発を応援する彼の姿勢は、多くの関係者から高く評価されました。

また、彼は杉良太郎らと共に「全国矯正展」のオープニングセレモニーに出席するなど、社会的な活動にも積極的に参加していました。これらの活動は、彼の人間性の豊かさを物語るものであり、落語界以外でも多くの人に感銘を与えました。

桂才賀さんが遺したもの

桂才賀さんは、生涯を通じて多くの人々に笑いと癒しを提供しました。彼の死去により、多くのファンがその存在を惜しんでいますが、その遺した功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。彼の落語や社会貢献活動は、後進の落語家たちにとっても大きな指針となり続けることでしょう。

桂才賀さんの最後の寄席出演は、2022年11月16日の新宿・末広亭でした。彼は生涯を通じて精力的に活動し、多くの人々に影響を与えました。彼の死去は大変残念ですが、これからもその遺産は多くの人々に笑顔をもたらし続けるに違いありません。彼の遺したものを胸に、落語界はこれからも発展し続けることでしょう。

[松本 亮太]

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